JOKER。
ノーラン監督の「バットマン」でヒースが演じたJOKERは、1つの完成形だと思っていました。
言い換えると、ヒース以上のJOKERは現れないとまで思っていました。
当時は、バットマンファン、JOKERファンだけではなく、映画ファンをも巻き込んで皆が同じ見解だったと思います。
そうです。
彼がJOKERを演じるまではー。
ホアキン・フェニックス!!!!!!!!!!!
JOKERはヒースで始まり、ヒースに終わった!
ヒースでJOKERは完成型となった!
彼がーヒースがJOKERそのものだ!
ヒースが演じたJOKERへの評価はこんな感じです。
こんな評価がある役を、誰がその後、演じたいと思うのでしょうか。
ほとんどの人がやりたくないですよね。
ましてや、興行収入の金額や観客動員数はあれど、演技という抽象的な、数字では表せないもので、完成型に挑むなんてヤバい奴です。
でもホアキンはヒースの後のJOKER役に、名乗りをあげます。
この「役者魂」を称賛している人をよく見ます。
これ私とはちょっと違うのです。
確かに完成型に挑んだ、ホアキンは凄いんだけれど、そうじゃなくて、ホアキンがヒースとは別の表現でJOKERになっていたことが凄いんだと思っています。
ホアキンも、JOKERそのものであったことが凄いんですよ!!!!
それもヒースとは別のプロセスで、ホアキン版JOKERを確立したことが称賛されるべき点だと思っています。
ホアキン版JOKERは、徐々にJOKERとなっていくという難しさもありました。
ヒース版とはここも少し違いますね。
作中、ホアキン演じるアーサーが冷蔵庫に入るシーンがあります。
あれは、台本にはなくホアキンのアドリブだそうです。
冷蔵庫の中の物を全部出してその中に入るって、あの時のアーサーを取り巻く環境の閉塞感やアーサーの心が少しずつ蝕まれていく様が、如実に表現されていると思いませんか?
あのシーンが、ホアキン版のJOKERの真髄だと思っています。
あそこで、アーサーがJOKERになることが確定したと思っています。
あー好き。
ばいばい!